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屁で走る男 ~1500mトラック~

「ブバッ!!」

 男は自分の屁で目が覚めた。毎朝6時になると、体内時計がケツとリンクして、勝手に出るものが出てくる。自分の屁で目が覚めるなんてかっこ悪いが、いつの間にかこの豪快な屁の音に愛着がわいてきている。部屋が屁で茶色くなって匂いが充満してきたので、窓を開けた。元に色にもどった。窓から朝の心地よい光が射し込んで来る。

「おお、いい朝だ」
「ブバッ!!」
声と同時に屁が出た。

 身支度を済まし、鏡の前に立つ。そこにはランシャツとランパンの姿をした男が立っていた。屁村のぶお、55歳。1年前、TVのトラックレースに釘付けになり、すっかりハマってしまった。それ以来、週に一回トラックでスピード練習をやっている。そしてようやく今日になってレースデビューをする日がやってきた。

「俺のスピードを思い知らせてやる」

会場へ

受付でゼッケンを受け取る。
「屁村さんですね、10番です。がんばってください」
「はい、がんばり・・・」「ブバッ!!」力んだので屁がでた。
「あの・・・く・・・臭いです」
受付の人が手の平で仰ぐ。
「大丈夫です。匂いはきついですが、害はありません」

 ゼッケン番号は10番。屁村は頭の中で構想を練った。スタートと同時に前をキープして、そのまま最後まで先頭をひっぱる。練習会ではいつもそうだった。先頭に立つと、なぜが誰もついてこない。だから今回のレースでもそういう流れになる確信をもっていた。

「ブバババッ!」

 スタート時間が迫るにつれ、鼓動が高まていく。トラックを一瞥すると、一気に炎のようなものが全身を突き抜けた。これから走るんだと思うと、屁を出さずにはいられない。

「ブバッ!」

 第1次招集コールが始まった。腰ゼッケンを受け取る。そのとき、また屁が出た。2発だった。時間は刻々と過ぎ、いよいよ最終招集がきた。トラックに出る。実際、その上に立つと屁を我慢せずにいられなかったが、あえて我慢した。以前、練習会で屁をこきすぎてそのまま体力がなくなって倒れた経験があるからだった。ただ、屁を我慢している強張ったその顔は、傍から見れば緊張しているようにも見えた。

 スタートラインに全員が並んだ。緊迫した空気に包まれる。緊張してついついケツに力が入るが、今は屁がでないように我慢する。走っているときに、より大きな屁を出せて効率良くスピードが出るからだ。いわゆる”溜め”だ。

スタート!

「バン!」

 号砲が鳴った。屁村はスタートダッシュをして前をキープした。同時に巨大な屁をかます。

「ブバッシャーン!!」

 後方から咳き込む音が何重にも重なって聞こえてきたが、決して振り向かない。わずかな隙を見せれば、すぐに抜かれるおそれがあるからだ。前だけを見て屁を何発も放ちながら距離を刻んだ。

「ブバン、ブバン、ブバン、ブバン!!」

 400m通過は80秒だった。トップだが、屁村は余力を残していなかった。前方に周回遅れの何人かが、鼻をつまんで倒れている。屁村はスタートダッシュについていけなくて倒れたと思い込んでいた。だが実際は違っていた。屁村の人間離れした屁の異臭に嗅覚がついていけず、歩くことすらままならなくなってしまったのだ。

「ふっ、・・・ぜぇぜぇ、お・・・俺のス・・・スピードについていくからこうなるんだぜ」

 倒れている選手を糧にして自分の力に変える屁村。残っている力で足を動かしながら何度も何度も屁をぶちかましていく。たまに別のものが出てくる音もするが、日常茶飯事みたいなものなので気にしない。
2週目、95秒。大分ペースは落ちてしまった。あとは惰性でがんばるしかない。1200m通過タイムは6分2秒だった。

「うぐ・・・苦しい・・・おぇ・・・助けて・・・」
「ブバッ、ブバッ、プシュッ」
とうとうフォームが完全に乱れ、水中で溺れているようなみっともない走り方になった。屁の勢いも大分弱まってきた。ラストの直線に入る。

「あ・・・あと少し・・・、苦しい・・・」
「ブッ、ブッ、プッ、プッ」
屁村の走り方は毎回このパターンだった。後半のラスト300mで歩きに近いペースまで大失速し、屁も弱まっていく。そのまま倒れこむようにしてゴールラインを割った。12分だった。

「はい、制限時間越えてるから失格ね」
係員が屁村に告げた。一着なのに信じられなかった。
「え?どうして?一着なのに」
「着順以前に、最初から失格です。皆さん後ろで倒れましたよ。2名が重症で全治三ヶ月。残りは救護室で寝込んでいます」
屁村は首を傾げる。係員が続きを説明した。
「単刀直入にいいますよ。あなたの屁がとても臭いからです」
「え!?私の屁が臭いんですか!?」

「ブバンッ!」ショックでまた屁が出た。係員が鼻をつまんで後ずさった。

 その後・・・屁村は二度と1500mを走ることはなかった。だが、相変わらず、どこでもを屁をこいている。公衆の面前で、周囲の冷たい視線をものともしない、不動の富士山のように。

「ブバン、ブバン、ブバーン!!」
「よし、次は水泳に挑戦するぜ!!」

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