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バイトの替え玉

 10年前、俺はヤクザだった。むかつくやつがいれば睨みをきかせるだけでそいつはビビる。グラサンに刺青をあらわにした太い右腕を目の当たりにして、逃げない奴はいない。金に困れば下っ端からくすねる。それに逆らうやつは殴れば済む。そんな習慣が一度身にしみると、堅気になった今でもなかなか取れない。それは、追い込まれた時に無意識にでてくるようだ。

 惰性は、ヘドロのようにしつこく体に付きまとう。だが、しっかりと自覚が持てているので、その場に応じて自我をコントロールすればやっていける。現に俺は、バイト先を転々とするフリーターだが、35歳になった今でも何も問題を起こしていない。
友達もできた。もちろんそいつらは俺が昔ヤクザだってことを知らないし、もしそれを告げたところで冗談ということで片付けられるだろう。

 そんな友達から、一本の電話が入る。

「もしもしカズくん?」
「どうした松本」
「悪いけど、明日俺の代わりにコンビニのバイトに出てくれない?」
「かまわないぜ」
 即答だった。ちょうど金に困っていたところだし、案の定、俺が務めているバイト先は今日休みなので、断る理由はないだろう。

 

 翌朝、けたたましくなる目覚まし時計で目が覚めると、俺は気合いを入れてバイト先に向かった。友人の話によると、今日コンビニの店員は誰もいないらしい。店長や他の従業員も海外へ遊びに行っている。また、コンビニ内には監視カメラもないので、バレないのは確実だろう。また、俺が一人で全てやらなければならないため、その分報酬が高くつく。

 ただ唯一、少し心配なのが俺が接客業をするのは初めてだということ。
気にしているのは昔のあれではない。純粋に慣れない仕事にできるかどうか不安を抱いているだけだ。未経験者が最初に抱え込むものとなんら変わりはない。コンビニに着くと、俺は友人と入れ替わった。
「じゃ、頼むぞ」
友人は早々とその場をあとにした。

 替え玉バイトの幕開けとなる。

 

 朝はいつもこんなだろうか。客は暫くの間、ひとりも来ない。退屈しのぎに妄想に耽る。その昔、百戦錬磨と謳われた頃、幾多もの勝利を収めた喧嘩の数々。俺の脳裏にその内容がウジムシが湧いてくるように次々とと蘇っていく。敵を殴る蹴る、そして変に落ちている店の看板や小石など何でも武器にし、相手にダメージを与えていく時の爽快感。
怯える目の前の相手は、最初はあれだけ威勢が良かったのが子犬に成れ果てた姿だ。その相手に向かって俺は言ってやった。

「相手見てからもの言えや」

 

「ひぃ・・・」
 それが聞こえた瞬間、ふと我にかえった。妄想のつもりが、声に出てしまったようだ。カウンター越しに目の前にいるお客さんが、俺に会計を求めていたところだ。
「申し訳ございませんお客様。その雑誌買うんスよね?」
 俺が頭を下げると、客のこわばった顔が緩み、その後うまく会計が進んだ。

 客が店を出たのを確認すると、俺は「くそ・・・」と言葉を漏らした。妄想に入りすぎると現実との見境がつかなくなるようだ。これからは客が長い時間こなかったら、別の方法で時間を潰そう。俺はそう決めた。

その後しばらくしても、やはり二人目の客がなかなか来ない。時間が刻々と進む中、俺はふたたび妄想に入りたいと思ったが、なんとか堪え、あらかじめ用意しておいた日本刀を研ぐことに専念し始めた。それにしてもなんて煌びやかで俺の感情をそそる日本刀だろうか。もし、このコンビニで何でも斬って構わないということになっていたら、この刀の切れ味を久々に試してみたい。

 そんなときに二人目の客が入ってきた。
 刀に魅入られている俺の姿が、客の目に映った。ふと我に返ると、俺は慌てて刀をしまった。このまま刀を持ち続けていると、いま目の前にいる客を斬りかねないし、いろんな意味で疑われてしまうだろう。
「いらっしゃいませ」
「何ですか?今の刀」
 客はおずおずとした様子で言った。表情から察するに俺を怖がってはいないようだ。
「いや、気にしないでください。借りた刀を返そうと思って手入れしてたんです」

 俺の答えに客は落ち着きを取り戻し、「そうですか」と店の奥へ進んで行った。だが、その背中が無意識に俺の過去の記憶をよみがえらせてしっまう。背中向けた敵はスキだらけだ。ヤクザは背中を向けた敵に敏感になる傾向にある。特にそこに刀があった場合、思考が働く前にまず体が反応してしまうものだ。
だから今、必死に耐えている。指先が刀に吸い込まれていくような感覚がまとわりつく。気を別の事に巡らそうとするが、無駄な努力だった。

 客がカウンターに雑誌を置いきた。
「300円です」
「いえ、これ250円ですけど」
「何だとお前」
 客の言っていることは正しかった。雑誌の表紙には250円ときちんと記載されている。俺は客の胸ぐらをつかんだ。自分の価値を言われた事と完全に勘違いしている。
「俺の価値は250円ぽっちか?」

 メラメラとした俺の目はかつてヤクザだったころのものが完全に蘇っていた。日本刀を再び握る。
「ぎゃあああ!!」
目の前で赤い噴水が出来上がった。血しぶきがかかり、我に返ったこところには遅かった。

 俺はサツに連行され、もう二度とコンビニのバイトができない身となった。
だって死刑だもん。

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