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「はい」と「いいえ」しか出来ない男

1

俺は人とコミュニケーションがうまくとれなくなってしまっていた。
それは3年間、ずっと部屋で引きこもっていたからだ。食事の時間もそこから出ることはなかった。親がドア越しに合図をし、食事を置いていく。それを俺が後で受け取る。

ところが一週間前、とうとう親が事故でなくなってしまったのだ。
まだ俺は25だ。この年齢で餓死してしまうのも人生勿体ない気がする。俺は勇気を出して部屋から足を一歩踏み出した。
部屋の外も全く人気がない。当然だ。父親はとっくの昔に家を出てるし、兄弟だっていやしない。

家を出ることができたのはそれから1時間後だった。
外に出るのは10年ぶりで、まるで刑務所から出所したかのような趣だ。あまりにも懐かしい外の景色に、一瞬立ち止まってしまったが、すぐに空腹感が俺の足を動かせと命令した。コンビニへ向かおう。

ステージ1 コンビニ (難易度 ★☆☆☆☆)

俺はおにぎりを7つカウンターに置いた。
「いらっしゃいませ、おにぎりは100円です」
「はい」
お金はたくさん持っていた。もともと俺の部屋にあったものだ。それを使う。
「100円ちょうどですね。ありがとうございます」

ステージ1クリア! (戦績 はい1回 いいえ0回)

 

2

おにぎりは公園のベンチに座って食べた。7つ程あったおにぎりは瞬く間に俺の胃の中に流し込まれた。次に俺が行動を起こしたのは、職場探しだ。いずれは生活費も底がつく。そうならないためにも、収入源はバイトでもいいから確保しておく必要がある。
公園をあとにした俺は、コンビニへ戻り、求人誌に目を通した。

これだ。これにしよう。

 

ステージ2 タクシーの運転手 (難易度 ★★★★☆)

翌日、俺はバイトの面接に向かうため、タクシーに乗った。
「お客さんどこまでいくんですか?」
「・・・」
住所は浮かんだ。が、どうしても言葉が出ない。最初は、普通に答えられるつもりで乗ったのだが、まさかここまで人と会話をすることが出来なくなっていたとは、思っていなかった。とりあえず、タクシーの運転手にジュスチャーで気持ちを表現した。
相手が首を傾げる。
「お客さん、そんなことされても困るんですよ。乗るのやめます?」
「いいえ」
「だったら、行先言ってくださいよ」
「はい」

今の返事には自信が込められていた。紙とペンを用意すれば簡単ではないかと、今頃気がついたのだ。
ところが、俺はその紙にさえも、はいといいえしか書くことができなかった。手が小刻みに震えている。
タクシーの運転手が溜息をもらす。
「お客さん、ひやかしはやめてくれよ。ちっとも面白くないよ」
「いいえいいえいいえいいえ」
俺は 大げさに首を横に振って否定した。やりたくてやっているわけではないのだ。
「時間がないからでていっておくれ」
「はい」
結局、タクシーに乗ることはできなかった。

ステージ2リタイア! (戦績 はい2回 いいえ5回)

 

3

俺は「はい」と「いいえ」しかできないようだ。頭の中ではこれほどにも考えが巡っているというのに。誰かにこの悩みを相談したいところだが、言葉が通じないのでそれもできない。やはり「はい」と「いいえ」をうまく組み合わせて相手に伝えるしかないようだ。
ならばやれるところまでやってみよう。俺は決心した。

ラストステージ バイトの面接 (難易度 ★★★★★)

頭の中で、マニュアルが完成させている。2つの言葉で限られた面接の準備は整っている。俺は面接室入口のドアを開けた。
面接官が俺をじっと見据えている。俺は無言で足を踏み入れた。これで俺への評価は下がっただろう。
そこで俺は土下座をした。マニュアル通りだった。頭を思いっきり地面にたたきつけると、鈍い音が面接室に響いた。

「何を始めるんだ急に!」
面接官が立ち上がった。俺は無言で土下座をやめ、立ち上がった。面接官に座るように促されると、俺は用意された椅子に腰を掛けた。
「何がしたいのかね君は?名前は?」
「灰 意家」(はい いいえ)
自分に指をさして答えた。「はい」と「いいえ」で作った名前。面接官が一瞬、考え込んだが、どうにか分かってくれたようだ。

「で、住所は」
「い、家はいい家」
面接官が一瞬首を傾げた。
「もう一度聞く」
「住所は」
「い、家はいい家」

俺はこれで通じると思っていたが、面接官にはふざけた野郎にしか見えなかった。

「でていきたまえ」
「はい」

面接が終わった。

ラストステージリタイア! (戦績 はい4回 いいえ3回)

新たな人生

俺は手話を始めることにした。完。

 

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