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エレベーダーで死んだふりをしている男

夜中の2時。
鳥焼田文太は、自宅へ帰ろうとマンションのエレベーターの前に立った。
扉が開くと、中には見知らぬ男ががうつむけになって倒れていた。背中にナイフが刺さっている。

「うお・・・」
文太は思わず声を出した。

どうしたらいいのか分からなかった。しかし目を凝らしてよく見てみると、まったく血が流れていない事に気が付く。
もしかして傷が浅いかもしれない。放っておけば助かるだろう。
文太は自分にそう言い聞かせ、今日は階段で我慢することにした。

翌朝、文太が乗ったエレベーターには、死体はなかった。人が倒れていれば何かしら騒ぎになったはずだろうが、マンションはいつもどおり何事もなかったかのような静かなたたずまいを見せていた。おかしいと思った。
しかし、この時文太は気が付いていなかった。昨日の男がエレベーターの天井に張り付いていたことに。
男は必死に「上を見るな、上を見るなと」心の中で繰り返していた。

早く降りろ、早く降りろ。文太がエレベーターを降りないと、男の汗が滴り落ちていき、気付かれてしまうのだ。
「昨日のあれは何だったんだろう・・・」
文太はそう呟きながらエレベーターを降りて行った。

その夜も、文太は残業が続き、ようやく仕事が片付いたのが夜中の1時だった。
「こんな連夜の残業がまだ続くと体がもたないな・・・・」
帰路を辿り、マンションのエレベーター前についた頃には、時計の針が2時を指していた。昨日と同じ時間だ。
ボタンを押す。上の表示パネルが3・・2・・1と切り替わり、扉が開くと、文太の進もうとした足が止まった。

昨日の男が、今度は仰向けに、大の字になって倒れているのだ。
腹部にナイフが刺さっている。文太は身動き取れない状態のまま、頭の中で整理した。
昨日背中に深い傷を負ったならば病院に運ばれていておかしくない。
そもそもエレベーターの中で正面からナイフを刺されるのたのであれば、本人は襲った相手に気づくので、何かしら抵抗した痕跡があるはずだ。ところがこいつには、痕跡がないどころか、よく見ると腹が呼吸で上下に動いている。

考えた末、落着きを取り戻すと、エレベーターの片隅にあるカップラーメンの食べかけを発見した。
バレた・・・と男は思った。薄め開きで文太の視線の動きを追っていたのだ。
文太がそのカップラーメンの食べかけを調べようとすると、
「やめろ食うな!!」
男はヒステリックぎみに叫んだ。
「ひっ・・・食いません」
文太は怖くなり、その場を逃げ出した。階段をかけ上り、部屋に入ると、急いで鍵を閉める。
ドアののぞき穴から外を確認した。

男は追ってきていないようだ。文太は安心すると、そのまま部屋の奥に入り、布団にもぐりこんだ。

 

「うめー、ラーメンうめー」
エレベーターの中で物凄い勢いで男はカップラーメンをすすっていた。
「げっぷ~~~!」
実はこの男、一ヶ月前から家を追い出されたホームレスで、ついこの間までネットカフェなどを根城とし、この界隈をあてもなく転々としていた。持ち金は日雇いなどで賄っていたが、風呂に入るのが嫌いだったため、とうとう誰も雇ってくれなくなった。
金銭が底をつくと、最後にたどりついたのはエレベーターでの生活だった。

「んあ?」
不意に、エレベーターが動きだした。男はそれに気づくと、慣れた動きで死んだふりをはじめた。
そしておもちゃのナイフを腹部にグサリと刺す。扉が開くと、女性が立っていた。
実はこの女性の前は4回ほど死んだふりをしている。
「なに、またこの男?これで4度目じゃない。何で誰も苦情出さないのよ」
女性は煙草を吸いながらそう言葉を吐き捨てると、諦めたのか階段の方に向かっていった。

「ふう、助かった。やっぱり神様はおいらに味方しとるな。ぐひゃひゃひゃひゃ」
むっくりと起き上がりながら、男は気色悪い笑みを浮かべた。

それから一週間後、エレベーター内部はすっかり食べ物のカスや、男が放った汚物等で誰も入れない状態にまでされていた。
誰も入ってこなくなったので、男は死んだふりをする必要がなくなった。

2

その夜、文太は泥酔状態のまま帰路を辿っていた。
サラリーマンではよくある典型的な職場でのトラブルが基となって、ヤケ酒に走っていたのだ。
今日もエレベーターを避け、階段を利用するつもりだった。ところが、意識が酒の力もあって、そこまで思考が回らなかった。眠っていたエレベーターのボタンを押す癖が指をボタンまで導いた。

扉が開くと、異臭が文太の鼻をついた。背筋に電撃が走り、階段で登らなきゃいけなかったことを思い出す。
(しまった・・・!)
異臭を発するエレベーター内では、男も不意に起こった出来事に対応ができなかった。久しぶりに扉が開いたものだから、驚いて死んだふりをするタイミングを逃していた。仕方なくその場で止まる。しかし、カップラーメンの件で対面しているというのに、文太の顔を覚えてはいなかった。男は少ない脳を必死にフル回転させ、口を開いた。
「私はここの住人でね、ちょうど今、降りようと思っていたところなんだよ」

「そ・・・そうですか」
「まったく誰がこんなにエレベーターを汚くしたんだ。本当に困ったもんだ」
男は完全に文太にばれているのにもかかわらず、そう言い放つと、エレベーターから出てきた。
去り際に、一言付け加える。
「あ、そこにあるカップラーメンとか食わない方がいいぞ。毒があるかもしれないからな」

文太はこっちを気にしながら去っていく男の背中を見ながら思った。
この男、戻ってくるつもりだと。

その時、文太は決意した。この男を追い払おうと。

 

翌朝、出社時刻前に、男が戻っていないかエレベーターの確認に出た。
開けると、やはり戻ってきたのか、朝っぱらから男が中で死んだふりをしていた。勇気を出し、声をかけてみる。
「あのう・・・すいません」
反応がない。寝ている可能性もあると考えたので、体を蹴とばしてみる。
それでも微動だにしなかった。その後、何度も蹴飛ばしてみるが、やはり何の反応も見せなかった。
文太は外まで運ぼうとも考えたが、ホームレスに触ることに抵抗を感じたため、結局あきらめた。
「はあ・・・」
ため息をもらし、その場をあとにした。

ドアが閉まった。
文太がいなくなると、天井に張付いていた男がうすら笑いを浮かべた。
「へへへ、そりゃ動かねえさ、そいつは本当に死んでいるんだからな。俺って頭いいなほんと」
勝利を確信した男は、エレベーターで死んだふりをする男から、エレベーターに死体を置く男となった。

一週間後、逮捕されることも知らずに

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