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ゴキブリ先生 ~人生崩壊の授業~

7月1日。

炎竜男子高校に、新学期が始まった。
どんよりとした雲がゆっくりと流れていく。それは不自然なほどに遅かった。
時折、得たいのしれない虫たちが、羽を広げ学校の前を横切っていった。
それは何かが起こるという事の予兆を表している。

生徒たちが、ぞろぞろと学校にやってきた。
まだ朝の6時だというのに、ずいぶんな人数だ。
新学期ということもあってか、転勤してくる新しい先生に期待しているらしい。
綺麗な先生だとアタリで、それ以外だとハズレということになっている。

生徒の9割は、学校へ入ると、教室へ向かわずにすぐ職員室へと向かう。
そこで新しい先生の確認が終わると教室へ戻るが、
なかには戻らない生徒もいた。

職員室には、新しい先生は見当たらなかった。
他の先生の話によると、今年は一人しか入らないとの事だった。
生徒達の期待はその一人に集中する。

・・・もちろん男じゃないよな。
生徒達の士気を高めるために美人の先生にきまっている。
そう生徒たちが、妄想を頭の中で繰り返す。

 

8時になると、新しい先生のクラスが決まった。3年1組だ。
クラスの中で生徒達の会話が始まっていた。
「なぁ、どんなセンコーがくるんだ?」
「へっ。もちろんこーーーんなセンコーよ」
リーゼントの男が両手の指をグーとパーを交互に変えて、星をイメージさせた。

「キラキラしてんのか。それはどういう意味よ?」
「もっちろんダイヤモンドよりも輝く美人だ」
「へっ。でもお前より俺の方がイケメンだから俺がおとしてやるぜ」
そう言った男が、顔を強調するように前に出した。

生徒たちの会話が続く中、一人で鏡をじっと見つめながら
髪をセットしている生徒や、自分の口臭を気にしてずっと口に
スプレーをしている生徒までいた。
それだけ新しい先生へ期待しているのだ。いや、もう決め付けてしまっていた。
士気を高めるために綺麗な先生がくるのは間違いないと。

 

8時30分になった。そろそろ新しい先生が職員室にいてもおかしくない時間である。
我慢しきれない生徒がすぐに職員室へ駆け込む。
そこにはいつも見られない光景が広がっていた。
職員室の前で倒れている生徒たちがいたのだ。
口から泡を吹いている。何かあったのだろうか。訊いてみた。

「どうした?」
「恐ろしいものを・・・みて・・・しま・・・」
そのまま生徒は気絶した。予兆が今、的中しつつある。
すでに学校は優しく包み込まれていた。
見えない黒い霧に。

後から来た生徒たちが、職員室をそっとのぞいた。
どうも普通の先生たちの様子がおかしい。
新しい先生は一度来ているようだが、今は職員室にはいないようだ。
ただ、話し声だけがきこえてくる。入り口のドアに耳をそっとあてた。

「俺、朝飯くえないっす」
「ありゃ異常だよ。だって体中にくっついてんだからさ?」
「え?何がついてるですか?私さっききたばかりで」
「聴いて驚くなよ。卵だよ。ゴキブリの卵」
「キャアアアアアア!!!」

 

8時45分。炎竜男子高校から男がコンビニにやってきた。
レジで弁当を買おうとしている。
「あたためますか?」
店員は笑顔で訊いてあげた。。コンビニの店員というのは、目の前にどんな
光景が広がっていたとしても決して取り乱してはならない。
この店員はもう長くコンビニの店員を勤めているベテランなので、そのくらい
十分に分かっていた。

「ああ。暖めておくれ」
男は自分の体についているゴキブリの卵を弁当の上にたくさん置いた。
「え・・・?」
「いい子に育てるんだぞ」
「すいません。その豆みたいなのをどけてもらえますか?弁当を暖めますので」
店員は笑顔を保ちながら答えた。しかし体が小刻みに震えている。
これほど恐ろしい姿をした客は初めてだったからである。
男はどす黒く恐ろしい空気を放っていた。

「弁当はいいから。それを暖めるんだ」
「あの、これは何ですか?」
「これではない。名前がちゃんとある。やれやれ・・・これだから困る。
最近の人間というのは純粋な一つの生命を”これ”呼ばわりする。
この卵の中には可能性を秘めた小さくても大きな存在の生命が
宿っているというのにまったく・・・人間というのは」
男はゴキブリの卵を手の平で円を描くようになでなでしらがら言った。

「うん、この手触りは最高だ。きっといいゴキブリが誕生・・・」
「お・・・お客様、それは無理です!!」
店員はそれがゴキブリの卵だと分かった瞬間、保っていた表情が壊れた。
「おっと、時間がない。だーれがお前なんかに頼むか。
こっちから願い下げだ。お前なんかにうちの子はやれん」
男は弁当とゴキブリの卵をもってコンビニを出た。

そのまま、炎竜男子高校を見上げる。
「さて、生徒たちにお勉強を教えてあげないとねぇ」
新しい担任はこの男だった。生徒たちは絶望を待っている事をまだ知らない。

 

8時55分。そろそろ始まる頃なので、3年1組の生徒たちはクラスに戻った。
「そろそろくる頃だな」
「へへへ、やっとクラスに華が開く。美人の先生だもんな」
それぞれの生徒たちは期待を膨らませた。
足音が、廊下のほうから聞こえてくる。

「おい、来るぞ」
「実は俺、今日ハンサムヘアーしてきたんだ」
生徒たちの最終調整が始まった。自分の顔を確認したり、
体臭を消すなど、それぞれ自分に適した最終調整をしている。

ドアが開いた。生徒たちの求めていた天国が跡形も無く崩れた。
生徒たちの視線の先にあったのは、美人の先生ではなく、
人間離れをした格好の男だった。時折、男の体からゴキブリの卵が
ポトポトと落ちる。生徒たちにとって、今まで期待したのはなんだったのか。
美人の先生がくるだろうと決め付けていたため、現実を受け入れることが
できない。

「ああ・・・夢だなあ・・・・これ」
一人の生徒が現実から逃げるように言葉を放った。
それをすぐに答えたのは先生だった。生徒達と会話をして
少しでも距離を縮めたいという魂胆がある。
「夢じゃねえよ」
ウインクを飛ばす。
「やめてくれ・・・」

先生は黒板の前まで歩くと、そのまま自分の名前を黒板に書いた。黒羽黒信。
「黒羽だ。ゴキブリのことならなんでも聞いてくれ」
振り向きざまに口を大きく開いた。口の中にゴキブリの卵が一つ見えた。
しかも偶然なのか、ちょうどいいタイミングで卵が割れ、ゴキブリが数匹生まれた。
そのまま口の中からそれがでてくる。
「ハッピパースディートゥーユー♪」
ゴキブリがでてくると同時に黒羽が歌いだす。新しい生命の誕生を祝っているのだ。

実は、この生まれるタイミングは偶然ではなかった。
自己紹介の演出としてゴキブリの生まれる瞬間を
生徒たちに見せたかったのだ。
この自己紹介は、ゴキブリを紹介するという意味も含まれている。
だから、正確には”自己紹介+ゴキブリ紹介”という事になる。

「先生やめてくれ!そんな気持ち悪いの見せないでくれ!!」
生徒の一人が必死に叫んだ。黒羽先生はそれを聞いていない。
ゴキブリと会話を始めている。まるで壁の向こうにいるかのように。
「さあ新たに生まれたゴキブリ達。俺をおかあさんと呼んでおくれ」
そういいながらゴキブリを暖めるように優しくなでた。

 

「くそ!期待させやがって!!」
リーゼントヘアーをした生徒が黒羽先生を殴りかかる勢いで前に出た。
「来い。俺はここにいるぞ」
黒羽先生はそのまま受け身の体制に入った。
暴力といえど、その生徒の全てを受け入れるかのように。

生徒が殴りかかろうとした瞬間だった。
黒羽先生は殴られるのをかまわず抱きついてきたのだ。パンチは当たったが、
抱きつかれているので、これ以上は手がだせない。
「や、やめろ・・・!!ゴキブリの卵が・・・!!」
「いいんだよ。りっぱなお母さんになってあげろ」
「・・・・ぎゃああああ!!!」
ゴキブリの卵の感触に耐えられなかったリーゼントヘアーの生徒は、
そのまま意識を失った。

 

黒羽が正面を向いた。
「さて、出欠をとろうか。山田」
「はい!」
黒羽に呼ばれた山田は大きな声で返事ができた。

「いい返事じゃあないか。お前は立派になれるぞ」
「あ・・・ありがとうございます」
「礼には及ばない。次、森田」
森田は、山田のように返事をしなかった。黒羽の鋭い視線が森田を突き刺した。
「な・・・なんだよやるきかよ?お、親に言うぞ」
森田は視線を返した。だが、その視線には弱々しさを感じられた。

「おびえなくていい。ほら、こんなにお前の仲間がいるんだから」
黒羽はチャンネルを切り替えるかのように急に笑顔を見せ、大の字に体を広げた。
大量のゴキブリの卵や、すでに生まれて動き回っているゴキブリが見える。
そして、ズボンのポケットから元気のいい大人のゴキブリ達が、羽を広げ
森田めがけて飛んできた。

「ひぃ・・・」
森田は両手で目を覆った。
「お前は一人じゃない。こんなにたくさんのゴキブリたちがお前を
求めているんだ。もう孤独感に苦しむな。胸を張って前を見ろ」
大人のゴキブリ達が森田を歓迎するかのように周囲を飛び回った。
「ほーら、こいつらお前と仲良くしたいって言ってるぞ。
よかったじゃないか。ははははははははは!!!!」

黒羽はわざとらしくどなりつけるように笑った。
「は・・・・ははははははは!!」
生徒たちは笑わなければいけないのだと思ったので、一緒に笑った。
「ははははははは!!!」
「ははははははは!!!」

 

授業の時間はさらなる地獄が続いた。
黒羽は、ゴキブリの卵の温め方から、生まれたばかりのゴキブリの教育方法まで
徹底的に教え込む。
嫌がる生徒にはゴキブリを近づけたり、顔にくっつけたりして慣れさせた。
「よし、続きは午後だ!午後はゴキブリと心をひとつにするコツをやるからな!!」
「は・・・はい!!」

 

昼食の時間になった。教室はすでにゴキブリまみれになっている。
4割の生徒達が苦痛にゆがんだ表情だ。
精神的にまいっている。気づかれないように帰ろうとする生徒もいるが、
黒羽はそれには敏感なので、逃げる隙を与えてくれそうにない。
「よし!それぞれゴキブリと一組ずつになって同じ皿の飯を一緒に食うんだ!」
黒羽が手を叩きながら生徒たちに命じた。
嫌がる生徒たちだが、ここはいうとおりにするしかない。

一つの机に、一人の生徒と一匹の大きなゴキブリという
まさにカップルを見立てたような組み合わせがたくさんできた。
ただ時折、ゴキブリが口から変な液体を皿に吐くので、
生徒たちがそれ以降、食事に手をださない。
実はこれ、ゴキブリの唾液である。ゴキブリ的にうまく食事ができるように、
黒羽が”あらかじめ皿の中に唾液をかけておく”というゴキブリに
教え込んだ技だった。

 

午後の授業では、生徒達が黒羽の命令により、叫び続けていた。
「ゴキブリーー!!ゴキブリーー!!」
「もっと声を大きく!複式呼吸を意識しろ!!」
「ゴキブリーー!!ゴキブリーー!!」
「声が小さい!そんなんじゃ、立派なゴキ大好き人間にはなれないぞ!!」
応援団の声を出すときの練習のように、 声が小さいものには容赦なく渇を入れる。

生徒たちのお腹や喉が苦しくなってくると、授業内容は次に進んだ。
ゴキブリストレッチだ。
ゴキブリの両足をもってあげてストレッチを手伝う、簡単そうで難しい内容だ。
少しでも力加減を間違えると、ゴキブリの足がとれてしまうからだ。
どの生徒も、いやいやながら慎重にゴキブリのストレッチを手伝っている。

 

突然、黒羽の視線が、反射的にある方向へと向いた。
そこには足が外れたゴキブリと、その足を持ちながら震えている
生徒の姿があった。黒羽がそこへ近づいた。
「おい、お前は今、とんでもないことをしたな」
「す・・・すいません」
おびえる生徒は、黒羽の目をちゃんと見れなかった。

「どう責任をとるんだ?」
黒羽がそう言うと、生徒は足の取れたゴキブリに土下座を始めた。
「すいません、すいません」
少し間をおいて、足の取れたゴキブリが不機嫌そうに触覚を動かした。
黒羽がそれを確認するとゆっくりと口を開いた。
「・・・だめだな。こいつの機嫌はまだ直っちゃいない」

「そんな・・・・どうしたらいいんだ・・・・」
「責任とるんだ。結婚という形で」
おびえる生徒が顔を上げる。意味がよくわかっていない。
「結婚・・・よ・・・よく分かりません?」
「そうだ。お前がこいつを幸せにしてやれ。そういうことだよな?」
黒羽はそう言い放つと、ゴキブリを見た。

ゴキブリはその通りだとでも言うように、触覚を左右に揺らす。
生徒はようやくそれの意味がわかった。
「い・・・嫌です!!俺、まだ高校生っすよ!!」
「お前が悪い」

 

この調子で、最悪の一日が終わった。

 

一週間後、3年A組は変化してしまっていた。
全員がゴキブリのようになってしまったのだ。
走るときはカサカサと走り、人がくるとゴキブリのように急いで隠れたりする。
パートナーのゴキブリとはもうイチャイチャ状態だった。
黒羽が満足そうに大量のゴキブリに包まれながら生徒たちを見ている。
「お前ら、やっと目覚めたか」
「おう!!!」

教室はゴキブリ人間とゴキブリの巣と化した。

 

・・・ある一家でのでき事。
「ただいまーー!!今日もゴキブリたくさんつれてきたぞ!!
学校で15354匹も生まれたから200匹ぐらいもらったんだ!
ほらほらほらほらほらーーー!!」
「ひぃぃぃぃいい!そんなものもって帰らないで!!」

・・・黒羽の影響は一家にまで及んだ。
ゴキブリ先生黒羽の野望はまだ始まったばかりだった。

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