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ゴキブリマニア サード

小学生の頃から、いつもあいつは俺の心に忍び込んできた。
「ママ、黒い虫がまたいたよ」
「ためよ五記吉。それはゴキブリといって、害虫なのよ」
たとえ害虫だとしても、どうしても嫌いになれなかった。

つかまえようとすると、カサカサと音を立てて逃げる。
そんな姿を見ていると、守ってあげたい気持ちになってくる。
まだ小学生だった俺の初恋へのきっかけだった。

 

中学になると、その気持ちはおさまるどころか、ますます
大きくなってきていた。
ゴキブリと激しい恋愛がしたい!やっとそう決心がついた矢先、
母がとんでもない事をゴキブリに始めた。

台所に行くと、ゴキブリホイホイが2つ置かれていた。
だが、それが何なのか俺には良く分からなかった。
その日の夜、母に訊いた。
「お母さん。台所にあるあれは何だ?」
「あれはゴキブリホイホイといってね、ゴキブリへの罠よ。
中に入ってしまえば、二度とでられなくなってるから、
あとはゴキブリホイホイごと捨てればいいだけ。便利でしょ?」

その日、初めて母に怒りを感じた。
いくら母とはいえ、俺が恋した黒い女神達に罠をしかけるなんて
許されることではない。
いずれ、ちゃんとゴキブリに土下座して謝ってもらわないと、
俺の気がすまない。

夜中になると、ゴキブリ救出活動を始めた。
足音をたてないように台所まで近づき、ゴキブリホイホイの中を
覗き込む。
「そんな・・・」
そこには、苦しそうなゴキブリ達が20匹ほど泣いている姿があった。
こいつらは、声なんかださないが、気持ちを俺には痛いほど
感じ取ることができる。
ここから出たい。お腹すいた。触覚が痛い。人間こわい。

助けてあげたいのに、どうしても助けることができない。
それは、ゴキブリ達の足や体がゴキブリホイホイの
強力な粘着力のある床にくっついていて、下手に取ろうとすると、
足などが外れたりして、二度と歩けなくなる恐れがあるからだ。
俺はその場で、ただ泣いてやることしかできなかった。

 

高校生になると、俺と母の間に壁ができていた。
「お母さん。ゴキブリに謝ってよ」
「できないって言ってるでしょ?まだ分かんないの?あれは害虫よ」
「でも、かけがえのない命なんだぞ。お母さんだって
一つの命じゃないか。だったら分かるはずだよな?
ゴキブリ達がどんな思いで命を落としていったか」
俺がそう言うと、母が顔をしかめて父を見た。

父は俺の変化の事なんて今までまったくの無縁たったので、
いつも中立の立場にいた。いつも仕事の事で精一杯なのだ。
「あなたも何とか言ってよ!!」
「なんだよ。新聞読んでんだよ」
父は、母の顔も見ずに答えた。
「五記吉がおかしいのよ!注意してあげて!!」

今日の母はいつもと違う。それを感じたのか、
ようやく父が俺に顔を向けた。
「五記吉。お前のそのゴキブリに対する想い。異常だぞ。
いい加減、やめたらどうなんだ」
その言葉は俺にとってすごく重かった。
普段何も言わない父親だからこそ、そう感じ取れたのだ。
母が、俺も見ずに泣き始めた。
俺が家出を決意した日だった。

 

 

そして今、俺はすごい生活をしている。
住まいは、外をフラフラしている時に見つけた安いボロアパートだ。

朝の7時、俺は目覚めた。
「ジリリリリリン」
目覚ましの音で布団から起き上がるが、
目の前が真っ暗で前が見えない。
だが、その理由も匂いで全てお見通し。
いたずらのつもりなのか、ゴキブリ達が無数に俺の顔に
へばりついている。目隠しだ。

「あはは、よせよお前ら。匂いですぐ分かるぞ」
俺がそう言うと、ゴキブリ達は俺の顔から離れた。
そのまま地面に降りて、少しうつむき、触覚をクネクネさせた。
反省のサイン。

「よせよ。俺はお前らの冗談、大好きなんだから」
俺がそう言うと、ゴキブリ達は嬉しそうに顔を上げた。
「かわいい顔じゃねえか」
そいつらに笑みを返し、立ち上がった。

朝食の時間が迫っているようだ。
朝食は毎日マックで済ましているので、俺はゴキ達と一緒に外に出た。
住宅街を歩いてると、ゴキブリ達はどうしてもゴミ捨て場で足が止まる。
「お前ら、ハンバーガー食わしてやるから、もう少し我慢しろよ」
俺に注意され、ゴキブリ達はゴミを諦めた。

マックが見えてくると、俺のワキの下がくすぐったい事に気がついた。
「あははっ。何だ?くすぐったいぞ」
2、3匹のゴキブリがワキの下で動き回っているのだ。
また俺へのイタズラらしい。

「よせよお前ら、ご飯食べたいんだろ?」
そう言うと、ゴキブリ達が袖からでてきた。
羽を広げ、そのまま地面に着地すると、触覚をブンブン回した。
くすぐりがうまくいったので、勝ち誇っているサインだ。
「・・・ったく、お前らはいつもそうなんだから。
でも、そんなお前らを俺は愛しているんだ。大好きだ」

 

マックに着いた。自動ドア通過し、
店員の挨拶とスマイルを受ける。女性のアルバイトらしき店員だ。
ゴキブリ達が待っていたぞと、カウンターの上に飛び乗った。
「きゃあ!!」
アルバイトの店員は驚いて、2歩ぐらい下がった。

そしゃそうだ。かわいいかわいいゴキブリ達とはいえ、
突然、羽を広げて店員の目の前のカウンターの上に乗ってしまえば、
誰だって驚くはずだ。
「すいませんね。こいつら気が短いもんで・・・」
俺は素直に店員にあやまった。

だがゴキブリ達はまったく反省などしてない。
早く飯を食わせろと、羽をバサバサさせている。
「みっともないぞ、羽についた汚れが散乱してみんなに迷惑だぞ」
ゴキブリ達はいつもそうだ。俺に注意されないと、いい子にはできない。
だからこそ、こいつらには俺が必要だ。

「何をご注文ですか」
「ああ、ビックマック2個頼むよ」
会計を済まし、あとは注文したビックマック2個を待つだけた。
だが、心配だ。ゴキブリ達はちゃんと待てるのだろうかと。

俺の不安は的中した。
すでにゴキブリ達の視線は、他の客達が食ってるハンバーガーの
ほうにいっている。トラブルは避けたいものだ。
俺はゴキブリ達の視線を手でさえぎってやった。

その時だった。
5匹のゴキブリがカウンターから客たちのほうに向かって
飛び始めた。
バサバサと音をたてて、ゴキブリ特有のばい菌が散らばる。
あまりにも豪快な飛び方なので、客達にすぐ気づかれた。

「うわっ!!」
そんな客にはおかまいなく、ゴキブリ達は
ハンバーガーにしがみついた。
俺はあわてて、その5匹のゴキブリのとこへ近づく。
「それは他の人のだ!!食べちゃダメだ!!」
間に合った。5匹のゴキブリは残念そうに地面に飛び降りた。

「すまんすまん。こいつら、食欲旺盛なもので・・・」
俺はあやまったが、その客は返事をしなかった。
すると、俺の脚に何かを感じ取ることができた。
ゴキブリ達が触覚で俺の脚を叩いていた。

「何だお前ら?」
ゴキブリ達が言いたいことはすぐに分かった。
どうやらこいつらも客にあやまりたいらしい。
「そうか、あやまりたいのか?ちゃんと反省してるんだな。いい子だ」
俺がそう言うと、5匹のゴキブリはテーブルの上に飛び乗った。

「なあ、あんた」
俺は顔を上げて、客に話しかけた。
「あっち行ってください」
「そう怒るなよ。こいつら、謝りたいんだとさ」
俺はそう言って5匹のゴキブリに指をさした。

5匹のゴキブリが一列に並んで、触覚をクネクネさせる。
客が理解できない顔をしているので、俺が説明を加えた。
「反省のサインだ。許してやってくれよ」
「・・・」
客の機嫌はまだおさまらない。

すると、5匹のゴキブリは、どうにか許してもらおうと、
突然、羽を広げ始めた。
「お前らまさか・・・」
俺は驚いた。久しぶりにゴキブリのヌードを見ることができる。
こいつらは自分のヌードを客に見せて、許してもらうつもりなのだろう。
謝るのがダメなら体で返すつもりらしい。

「ゴキブリー!!」
叫んでも、止めることはできなかった。
客は何が起こるのかさっぱり分からない顔をしている。
やがて5匹のゴキブリは、広げた羽をヒラヒラさせ、
足をクネクネしはじめた。まるで海中にあるワカメだ。

「おいおい、ゴキブリが動いてるぜ・・・オエ・・・」
客がそのゴキブリ達に指をさして言った。
ゴキブリの足がクネクネからゆっくりとした動きへと変化していく。
「あっち行けよ・・・」
それがダメなら今度は客に近づいてきた。

俺にはそれが何だか分かった。
「やめろお前達!!キスなんてするんじゃない!!」
俺の声は5匹のゴキブリに届かない。
「ビックマックできましたよー」
注文したのが出来上がったが、今はそれどころではない。
とりあえずビックマックは冷めないうちに、他の待っていたゴキブリ達に
俺の分も含めて食べさせてやることにした。

5匹のゴキブリが顔を上げる。目は客を見ている。
「何だ?」
客がゴキブリの視線に気づくと、5匹のゴキブリは目を閉じた。
そのまま客が顔を近づけてくるのを待っている。
俺はその光景を見ることができない。
自分の好きな人が赤の他人とキスするなんて、考えられないのだ。

「気持ち悪いんだよ!害虫どもめ!もう帰る!!」
客が大声で制した。ゴキブリ達は動くことができない。
キスを待っているときに、害虫と言われたので、かなり傷ついたのだ。
客は席を立ち、大きな足音をたてて、店を出た。

少し間があくと、俺はゆっくりと、視線をゴキブリ達に戻した。
「おい・・・・」
5匹のゴキブリはパタパタをテーブルの上で倒れた。
「お前らどうした!!」
かなり精神的なショックを受けたらしい。
「さっきの言葉で傷ついたのか・・・そうだ病院だ!!」

5匹のゴキブリを持って、すぐにマックを出た。
外は雨が降っている。走って病院へ向かう。
「しっかりしろお前ら!!俺が助けてやるからな!!」
地面を打つ大きな雨の後が、やけに胸に響いた。
俺の手の上で、5匹のゴキブリはピクピクと動いている。

足がすべった。
こんな酷い雨で走れば、そりゃすべるだろう。
俺はそのままアスフォルトに倒れこんだ。
その拍子に5匹のゴキブリも落としてしまった。
俺は拾わなきゃとおもい、必死に手を伸ばす。

「やだ!害虫だわ!!」
見知らぬおばさんが言った。最悪のタイミングだ。
そのおばさんはスリッパを持っていて、俺の横に立っていた。
俺が終わる瞬間だった。

 

 

・・・3年後。
ゴキブリの死の悲しみを乗り越えることができなかった俺は、
人間と仲良くすることに目を向けていた。
そのおかげで、今は人間の妻と子供に恵まれ、幸せな生活をしている。
本当にこれでよかったのだろうか。
俺の頭の中で、小さな一つの灯火が今でも消えていない。

 

・・・10年後。
俺は家へ帰る時間が遅くなった。
毎日、妻には仕事で遅くなると嘘をついている。
ある日、妻は俺を疑うことになる。そのきっかけとなったのは、
俺の服にたくさんついていたゴキブリの羽。

妻は、これを直接ゴキブリと結びつけることができなったが、
俺の訳の分からない言い訳が、妻から疑いを作ることになるのだ。
「何これ?虫の羽?」
妻が言った。
「え、いや、まあ。仕事上の事でね」
「仕事上の事?」
「ああ。実は俺の上司、虫の羽でできた服を着ているんだよ
それが風で俺の服に飛んできたんだろうな・・・」

妻は俺をしっかりと見ていた。
焦った顔。冷や汗。落ち着きのない手の動作。そして意味不明の言い訳。
そこから導かれた答えは、別の女性と会っている可能性だった。

次の日、妻は俺の仕事場の外で待機し、
俺が仕事を終えて中からでてくると、見つからないように尾行した。

「待ってたぞお前ら」
俺は凄まじい匂いがするところで、何かに向かっていった。
そこはゴミ管理工場だった。
妻はある程度はなれた距離から俺を見ている。

今は夜なので、ゴミ管理工場周囲も真っ暗だ。
ゴキブリの数は恐ろしいほどにいる。
妻は見ていけないものを見てしまったのだ。

・・・・俺はあの時、ゴキブリの死が悲しすぎてので、
心を封印することにしたはずだった。
でも、やっぱり我慢できなかった。
10年経てば忘れられると思っていたが、
忘れた頃にそれがまた蘇ってくるのだ。不死鳥のように。

妻は走ってその場を離れた。
足音がしたので、俺はそれに気づいて振り向いた。
「あ・・・」
俺が妻を見たのはそれが最後だった。

振り出しに戻った瞬間である。

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