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鋼の美

「キャー!この人チカンです!」
ちょっとだけ満員している電車で、ある人物が普通の男の手を掴み上げてそう叫んだ。
普通の男は、信じられないといった表情をしている。
信じられのもそうだが、普通ではありえない。理由は2つあった。

一つ目は、満員電車と呼べるほど満員してはいないので、痴漢が起きるにしては不自然な事。
そして、もう一つは・・・・・・。
時を1時間ほどさかのぼる。

 

「美しい・・・・」
あるアパートの中。プロレスラーのような格好をした男が、鏡の前でポーズをしていた。
男は毎日、体を鍛えていたので、たくましい体つきになっていた。
鏡の前でいろんなポーズをし、自分の姿に見とれている。
「なんという肉体美だ。まさに鋼。まさに最強。まさに敵なし」
男の名は、肉村鉄男。33歳。
自分の体を鍛えて、肉体美を磨くことを生きがいとしている。

 

今度は、テレビの前に仁王立ちし、リモコンでテレビをつけた。
チャンネルを格闘技系が放送されているところに回す。
自分の筋肉と格闘家系の筋肉を見比べ、勝利の笑みを浮かべた。
「フッ」
優越感に浸ると、窓を勢いよく開けた。

そのまま窓に向かってマッチョポーズをとり、誰かが気づいてくれるのを待つ。
・・・誰も気づいてはくれなかった。
人に気づいてもらうには、やはりそれなりの舞台が必要だという事か・・・
と、肉村は勝手に悟った。
「俺の美をいかせるのはここじゃねえな」

そこは駅のホームだった。
電車の中ならば、嫌でも人が多くいる。
肉村は、冬だというのにTシャツ一枚しか着ていない。
しかし、そのほうが自分の肉体美がよく見える。
自分に自信のあるポーズをしながら、電車が来るのを待った。

電車が来ると、全身の筋肉をピクピク動かしながら中に入った。
人はそこそこいた。肉村の頭の中でイメージがわいてくる。ここは舞台だ。
自分が主役で他の奴らは全員客なのだ。
しかし、主役を活かすには脇役も必要になってくる。
肉村はじわりじわりと、その辺に立っている普通の男に近づいた。

そして、勢いよく普通の男の手を掴み上げ、叫んだ。
「キャー!この人チカンです!」
肉村の頭の中で、舞台が始まった。
周囲の視線が、肉村と普通の男に集まった。
「何ですかあんたいきなり!」
普通の男が、肉村を睨み付けて言った。

肉村も睨み返す。
「何よこの変態!
私のパーフェクトボディに触れておいて、よくそんなこと言えるわね!」
自分の体をポンポン叩きながら言った。
時折、周囲の視線を確認する。やはり客が見ていないと、
意味が無いからである。

「変態って・・・どっちだよ!」
「あなたに決まってるでしょ!私のこの鋼のような・・・」
言葉の途中で、肉村は自分の自慢である腹筋をピクピクさせた。
「・・・肉体を触ったのよ!この肉体を!!」

そのまま肉村は、自分の自慢のポーズをし、続けていった。
「確かに、気持ちは痛いほど分かる。この芸術的な肉体美!
でも、痴漢はやめて!ふんっ!!」
気合を入れた顔で、全身の筋肉をピクッとさせた。

「あんたが今、俺に勝手に近づいてきただけだろ!周りの人だってちゃんと見てる!」
周りの人は普通の人に対して頷いた。しかし肉村は聞いていない。
「あなた、このふとももにも触ったね!この大木のような
なんともいえない日本でもっとも美しい太もも!」
肉村そう言うと、太ももの筋肉をピクピクと動かした。

「そして、この上腕筋!この上腕筋にも触ったでしょ!
誰もが認めざるを得まいこの世界最高の上腕筋!!そいやっ!」
掛け声とともに、着ていたTシャツを一気に脱ぎ捨て、腕をゆっくり回た。
踊っているかのように。

「この誰にも真似できない鋼の筋肉がすばらしくて、痴漢したい気持ちは本当に分かる!
このエベレスト山のような・・・」
「あんた、ただ自分の筋肉自慢したいだけでしょ?」
普通の人が、途中で肉村の言葉を遮った。

肉村の動きが急に止まった。バレしまってはもうどうしようもない。
次の舞台を探すしかないようだ。
「ち・・・ちがうわ・・・」
「じゃあそのTシャツ着ろよ」
「・・・」

肉村の物語はまだ終わっていない。

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