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天使のようなお客さん

雨の日の午後、店員の高橋はコンビニで最悪の客に出くわした。
今、空になった弁当箱がカウンターに置かれている。
「お客様、食べてから買うのではなく、食べる前に買っていただけないと」
「払うからいいでしょ?」

このお客は、弁当を食べてから買おうとしている。
今回に限ったことではい。来るたびに空にした弁当箱を買うのだ。
次回からやらないように注意しておかないと、また店長に怒られる。
しかも、この客はウォークマンをしているので、
大声で話さなければ声が届かない。

「ですが、そういう決まりですので」
高橋は弱々しく言った。
「よく、聞こえない」
客の耳から音楽がシャカシャカと漏れている。
ボリュームがかなり大きい事が分かる。

「そういうお決まりですので!!」
声を大きくして言った。
「レストランで、買ってから食うのか?」
またこのパターンだ。高橋は毎回、これで諦めている。
だが、今回は対策を自宅でちゃんと練ってきている。
その時に考えた答え方を使ってみた。

「お客様。レストランとコンビニは違います。
失礼ですが、国語辞典などで調べていただけると・・・」
「失礼な人だね!!まるで私が何の知識もない小学生みたいな
言い方だな!!店長を呼ぶか?」
「すいません・・・それだけはカンベンしてください」
客は、金を払わずにギラついた目で、こっちを見てから帰っていった。
精神的に傷ついたから、金は払わないと、目で言っていた。

 

もうこんな思いはしたくない。
それから数日後、コンビニを辞めた高橋は、家で自分について考えた。
自分がお客の場合は絶対あんな風にはならない。
いや、むしろ店員が喜んで働けるような、そんなお客になりたい。

その考えが一日中続くと、どこで思考回路が狂ったのか、
人生それしか見えなくなってきていた。
タバコを吸ったときのような何か依存性があるようなエネルギーが
頭の中に充満してきたらしい。

一日が過ぎて朝を迎えると、家をあとにした。
何か決心したようなそんな表情だ。足取りは淡々としている。
自信に満ちた表情。強く握り締めている右拳。
それは怒りの拳ではなく、俺はできるんだと言っている
生き生きとした、いい意味での握り拳だ。

向かう先はコンビニ。今度は自分が客の立場なのだ。
買うのは朝飯の弁当。サイフはポケットの中。
実は店員のことを考えて、あらかじめ小銭は綺麗に洗っておいた。
あんなに茶色かった10円玉も見違えるくらい綺麗だ。
コンビニが見えてくると、店員に喜んでくれそうな笑顔をつくった。

準備は万全。高橋は、入り口の自動ドアを通過した。
「いらっしゃいませー」
女性のアルバイトらしき店員が、こっちに向けて笑顔で挨拶。
高橋はつくった笑顔のまま、あいさつを返した。
「お嬢さんかわいいね。いらっしゃいましたよコンビニに」

気のせいだろうか、少しだけ店員の動きが止まったように見えた。
そのまま高橋は弁当が置いてある所まで進んだ。
弁当を持つと、レジにゆっくりと進む。店員と目が合った。
始まるのだ。

高橋が、弁当と、値段ぴったりの小銭をカウンターに置く。
「あたためますか?」
「いいんですよ。気を使わなくても。家で自分でやりますから」
高橋は笑顔で答えた。
「わ、分かりました。では630円ちょうどお預かりします」
店員は会計を済ますと、弁当を入れる袋を用意した。

「あ、いいんですよ店員さん。そんなにご無理をなさらなくても」
高橋が手を左右に振りながら言った。
店員がどうしていいのか分からないような顔で高橋を見ると、
高橋の口が開いた。
「それあげます。僕の気持ちですから」
今の高橋は、頭で自分を天使のような客にイメージしている。
「あの・・・お客様。それはちょっと・・」
店員が困ったような顔で断った。

「いいんですよ。アルバイトをしていると疲れるでしょう?
僕はね、人を喜ばせることが、自分の喜びだと思ってるんだ」
高橋がそれを言い終わる前に、
店員は弁当を高橋のほうに滑らせた。
「でも、いただくわけにはいきません」
「いやいやいやいや、どうか受け取ってください。
あ、よろしければお金もあげましょうか?」

サイフから札を2枚くらい出して、カウンターに置いた。
「こ、困ります!」
「何を言ってるんですか。あ、肩もみましょうか?」
「受け取れません。弁当もお金も」
「いいからいいから」

「ごめんなさい、受け取れません」
店員は、頭を下げて礼をしながら言った。
「そうですか・・・ダメですか?」
「本当にごめんなさい」

そして高橋はキレた。
「あんた!俺様が気持ちを込めて差し出した2万円と弁当、
受け取れねえだと!!ふざけんなよ!!」
天使の事はもう頭からすでに消えている。
「ひっ・・・」
店員は後ずさりした。
「受け取れよ!金受け取れよ!!」
「・・・う、受け取れません」
「まだ言ってんのかこの!!」

高橋は弁当をその辺におもいっきり投げた。
「ひっ・・・」
怖がる店員におかまいなく、陳列棚を次々と倒していく。
ガラスを割る。本を投げる。床に商品を叩きつける。
コンビニは今、高橋によって荒らされているのだ。
これでは天使ではなく、もう悪魔のような客だ。

 

30分後、高橋は路上で仰向けに倒れていた。
店を追い出されてた高橋の情けない姿だ。
「・・・なんてバカな事をしたんだろう・・・」

高橋のすばらしい客への道は、一日で途切れた。

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